昔も今も 盗みが得意


お年寄りだけが知っている朝鮮人の事

韓国海軍のレーダー照射事件で、いつものことではあるけれど、司法から軍、国家、一般人までどうしょうもない嘘つきであることにイライラさせられる。



「どろぼうが嘘をついた」言い得て妙の表現である。
盗むのが得意で、嘘を付くのに何の恥じらいもない。
で昔、別のブログに書いたことを思い出してしまった。

戦中戦後を生きてきたお年寄りたちががだんだんと彼岸に旅立って行く。
近所の元気だったOさんが93才で亡くなった。
年寄りは同じことを繰り返して話すが、彼は1回もそういう事はなかった。
家の近くに小さめの1軒屋があって、そこは30年前に○○さんと言う人に貸していただんよ、
とその名前がすらっと出てきた時に驚いた。
私と言えば5年前の同僚の名前が出てこないのに。












道路の右側が彼の山で、去年の秋に売られ、春から宅地工事が始まる。
Oさんが、1週間ほど入院していたことがあった。
すると道路の右側が草ボーボーになったのだった。
マメに手入れしていたんだと実感した。
働き者で自宅前の畑の仕事、裏の山の手入れ、塀や生け垣の手入れ
毎日いろんな仕事を見つけて寡黙に仕事をしていた。

この辺りは昔はきれいでしたよ。
周囲は一面緑の山で花々が溢れていたし、野ウサギがいたんだから。
(ええ? 野ウサギが!)
終戦直後朝鮮人がいっぱい来て, そこら中の植物を根こそぎ持っ行ったんだよ。
(ええ? 文句は言わなかったの?)
文句を言ったてだめよ。 
あいつらは5人6人のグループで来るし,何しろこっちは敗戦国だからね。
戦後働き口を無くして薬草として売るために来たのではないかとの話だった。
ここからかなり距離のあるところのSさんは87才かな。
(今は90才を超えている。ン十億万長者です)
昔のことはあまり話したがらないが
やはり戦後朝鮮人たちが悪さや嫌がらせをしたと言った。
たとえば映画を見ている時、電源を落としたり。
それからこちらのご近所のHさんはは92才、ソウルで生まれソウルで育った。
(現在は施設に入っている)
家は帽子屋をやっていて朝鮮人をやとっていた。
(- 従業員に商品を盗まれなかったの?)
ちょっと間をおいて
盗まれたのよ。
あの人達はダボダボのズボンみたなのを穿いていたから、
裾の方にハンチングのようなかさばらない帽子を3枚4枚と隠してもわからないのよ。
で、父が店の上の方に鏡を何枚も置いたのだけど、あの人達は仲間意識があって、
わざと鏡の前に立って見えないようにしてたのよ。

私の専門は東欧の国際関係事情だったが、隣に東アジア研究室があった。
暇な時覗くと李氏朝鮮時代の写真や資料がいっぱい出てくる。
リャンバン(仕事をしない貴族階級)が一時国民の70%を占めて、国民総生産がフィリピン以下に
なったこともあった。
まぁ、当時の日本の農民たちも貧しかったが、朝鮮半島は皇室も貧しかった。
染料を買う金がなかったから、国民は白服で、皇室も普段はわずかに色がついた服を着ていた。
暖房のオンドルを使うため樹木を切り倒し、植樹するという意識は欠如していたので
山は裸になり土砂が田んぼに流れ不作になる。
これの繰り返して国は疲弊し人口は減少。
一番驚いたのが 乳出しチョゴリ
リャンバン以外は男児を産んだ女性は冬でも乳出しチョゴリを着なくてはいけない。










欧米では知識階級は差別感情を心に深く秘めて外には出さない。
日本ではその国の歴史的、経済的知識がない人たちはそれ故に差別感情が少ない。
韓国人がいつの間にか豊かになり、東南アジアの人たちをあからさまに差別するようになった。
朝鮮人ふぜいが、と思う時があって、ほんの少しは反省みたいなものはする(かな)。
日本が豊かになってアメリカ本土の不動産を購入するほどになった頃
若い私はアメリカで仕事をしていて、少し恥ずかしかった。
新聞の記事にみつけた

well well well
ants have learned to dance a walz?


おやおや アリたちがワルツを踊ることを覚えてしまったのかい?

昔も今も Koreans

昔も今も 盗みが得意


お年寄りだけが知っている朝鮮人の事

韓国海軍のレーダー照射事件で、いつものことではあるけれど、司法から軍、国家、一般人までどうしょうもない嘘つきであることにイライラさせられる。



「どろぼうが嘘をついた」言い得て妙の表現である。
盗むのが得意で、嘘を付くのに何の恥じらいもない。
で昔、別のブログに書いたことを思い出してしまった。

戦中戦後を生きてきたお年寄りたちががだんだんと彼岸に旅立って行く。
近所の元気だったOさんが93才で亡くなった。
年寄りは同じことを繰り返して話すが、彼は1回もそういう事はなかった。
家の近くに小さめの1軒屋があって、そこは30年前に○○さんと言う人に貸していただんよ、
とその名前がすらっと出てきた時に驚いた。
私と言えば5年前の同僚の名前が出てこないのに。












道路の右側が彼の山で、去年の秋に売られ、春から宅地工事が始まる。
Oさんが、1週間ほど入院していたことがあった。
すると道路の右側が草ボーボーになったのだった。
マメに手入れしていたんだと実感した。
働き者で自宅前の畑の仕事、裏の山の手入れ、塀や生け垣の手入れ
毎日いろんな仕事を見つけて寡黙に仕事をしていた。

この辺りは昔はきれいでしたよ。
周囲は一面緑の山で花々が溢れていたし、野ウサギがいたんだから。
(ええ? 野ウサギが!)
終戦直後朝鮮人がいっぱい来て, そこら中の植物を根こそぎ持っ行ったんだよ。
(ええ? 文句は言わなかったの?)
文句を言ったてだめよ。 
あいつらは5人6人のグループで来るし,何しろこっちは敗戦国だからね。
戦後働き口を無くして薬草として売るために来たのではないかとの話だった。
ここからかなり距離のあるところのSさんは87才かな。
(今は90才を超えている。ン十億万長者です)
昔のことはあまり話したがらないが
やはり戦後朝鮮人たちが悪さや嫌がらせをしたと言った。
たとえば映画を見ている時、電源を落としたり。
それからこちらのご近所のHさんはは92才、ソウルで生まれソウルで育った。
(現在は施設に入っている)
家は帽子屋をやっていて朝鮮人をやとっていた。
(- 従業員に商品を盗まれなかったの?)
ちょっと間をおいて
盗まれたのよ。
あの人達はダボダボのズボンみたなのを穿いていたから、
裾の方にハンチングのようなかさばらない帽子を3枚4枚と隠してもわからないのよ。
で、父が店の上の方に鏡を何枚も置いたのだけど、あの人達は仲間意識があって、
わざと鏡の前に立って見えないようにしてたのよ。

私の専門は東欧の国際関係事情だったが、隣に東アジア研究室があった。
暇な時覗くと李氏朝鮮時代の写真や資料がいっぱい出てくる。
リャンバン(仕事をしない貴族階級)が一時国民の70%を占めて、国民総生産がフィリピン以下に
なったこともあった。
まぁ、当時の日本の農民たちも貧しかったが、朝鮮半島は皇室も貧しかった。
染料を買う金がなかったから、国民は白服で、皇室も普段はわずかに色がついた服を着ていた。
暖房のオンドルを使うため樹木を切り倒し、植樹するという意識は欠如していたので
山は裸になり土砂が田んぼに流れ不作になる。
これの繰り返して国は疲弊し人口は減少。
一番驚いたのが 乳出しチョゴリ
リャンバン以外は男児を産んだ女性は冬でも乳出しチョゴリを着なくてはいけない。










欧米では知識階級は差別感情を心に深く秘めて外には出さない。
日本ではその国の歴史的、経済的知識がない人たちはそれ故に差別感情が少ない。
韓国人がいつの間にか豊かになり、東南アジアの人たちをあからさまに差別するようになった。
朝鮮人ふぜいが、と思う時があって、ほんの少しは反省みたいなものはする(かな)。
日本が豊かになってアメリカ本土の不動産を購入するほどになった頃
若い私はアメリカで仕事をしていて、少し恥ずかしかった。
新聞の記事にみつけた

well well well
ants have learned to dance a walz?


おやおや アリたちがワルツを踊ることを覚えてしまったのかい?